私はプラモデル(模型)こそ大好きですが 戦争が好きなわけでは決してありません
もちろん 模型には戦争の道具である「兵器」が再現されているものが多くあります
実際に軍事訓練に兵器識別のために模型が使われたり また模擬の兵器が利用されていることも存じてはおりますが
そのことは 兵器としての活躍を想像し自分を鼓舞するものでもありません
古くは投石器や刀や弓も兵器です
台所の包丁も使い方を間違えれば武器であり 殺傷能力もあります
自衛隊や各国の軍隊の兵器兵装も 危ういとはいえ 使わない抑止力として存在しているかと思います
車でさえ(どこかの老人に操作されたら殺人兵器にもなるわけですが)使い方によるとはいえ 模型にすることが 何かしら「俗悪」「暴走」をイメージさせるモノまで否定しだしたら 限りなく後ろめたい世界になりそうです
機械に罪はなく使う側の 見る側の意識だと思ってます
「ゼロ戦かっこいい!」と思った子供の頃の私は その後 設計された時代や当時の飛行機の比較をし 戦争や世情の背景に興味をイメージしながら 様々学んだつもりです
現代の戦闘機(航空機)も 科学技術の積み重ねの頂点にあるとはいえ いずれ人類の科学に反映されると信じていたいです
新しい技術を時代に利用して優位に立ちたいのは どの国も「抑止力」の名目とはいえ 当たり前なのかもしれませんが
戦争映画が無くならないのは 戦争を焚き付けているのではなく 悲惨で何も生まないことを訴えたいのだと信じています
西部劇が勧善懲悪なのは大義名分で「俺が正義だ」を主張していますが
こと国と国との戦いはどちらにもそれなりの理由があるのが難しい話です
だからといって 戦争を肯定するわけではありません
ガンダムですら SFの戦争殺し合いアニメと言い切ってしまえる戦闘シーンがあり 現実離れと言えないギリギリの残酷な話しであると思います
いきなりですが 将棋やサッカーやチェスは
元は殺し合いからの派生ゲームと聞きます
なんでもかんでも戦争推進に話を曲げてしまう方がいるようですが ちょっと違和感を覚えます
旧日本軍の飛行機や戦車を知ることが 行けないことだとはとうてい思えません
逆に 過去の戦争の事実と背景を知ることは大変重要なことだと思います